炭酸水が冷えていない

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ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本

 

梅雨に入り、外でマスクすることが億劫になってきた6月。

 

湿度嫌いの私にとっては除湿は欠かせない。

 

除湿をすると肌寒くなってしまうので贅沢に布団に潜る。

 

こたつにアイス、冷房に布団。 禁忌。

 

 

 

自らタスクを作り出すことで忙しい雰囲気を出して身体を動かそうという目論見で

 

本を図書館から借りた。

 

 

その本が、「ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本」(作者 : ヤコブ ・ラズ  訳 : 高井宏子  出版:岩波現代文庫) である。

 

導入

 

理系の学校に通っているが、実際に学問として興味があるのは文化人類学である。

 

大学の講義で、東北の「マタギ」について勉強したのをきっかけに興味を持ち始める。

 

簡単に単位が取れるという話でその講義を受ける人が多い中、一番前のめりになって毎週聴いていたのは自分だけではないだろうか。

 

なぜその道に行かないかというと金になりそうにないから、それにつきる。

 

 

 

 

 

小さい頃から「善と悪」や「0か1」、「白か黒」という二元論で物事を考えていた。

 

幼稚園での様子が「クソ生真面目」であった話を周りの人から聞くと

 

「そんな昔のことをよく覚えているな」という恥ずかしさ と

 

「周りに厳しすぎるだろう」と後悔の念が混ざった感情に苛まれてしまう。

 

 

つまり私の中では「悪」は根絶されるべきであり、全員が「正義」「善」とまではいかなくても、皆「普通」である秩序や安心のある社会を望んでいた。

 

 

ある日、言語学の教授が「悪いもの、無駄なものも愛するべき」と講義の流れで自論を述べ、衝撃を受けた。

 

今までの自分には、敵意しか存在しなかった。

 

そこに愛情を持つことを提案されたのだ。

 

人は理解できないものに対して恐怖や敵意を持つ。

 

確かに自分にとって未知である他者を理解をしなければ何も始まらない。

 

 

 

 

ということからヤクザの世界とはどういったものなのか興味が沸き、

 

この本を読むことにした。

 

 

 

内容

 

あらすじとしては、外国人の研究者である筆者が実際にヤクザの世界に触れ、その中でヤクザの実態や現実を分析していくものである。

 

親分や子分にインタビューを行ったり、集会やイベント、祭りのテキヤに参加したりするフィールドワーク的に情報を集めていた。

 

他にも様々な実例や本、映画などから分析を行っている。

 

 

ヤクザは日本文化の一部(日本人の精神状態の1つ)であることが述べられていた。

 

生得的にヤクザになるのではなく、自己のアイデンティティの枠組みを作るためにヤクザになる。

 

また右翼活動により、ヤクザの暴力性を国家の暴力性によりの正当化する流れも腑に落ちた。

 

「ヤクザから見たカタギ」を理解することもヤクザにならなければできないが、この本によって知ることができた。

 

ヤクザの道徳性や必要悪や犠牲、カタギの方がよっぽど悪いという感情。

 

 

カタギからの依頼を受けることもあるヤクザ(弁護士のように)。

 

そこでヤクザが一方的に「悪」であるとカタギが決めつけることは都合が良すぎる。

 

 

さらに内容を詳しく書くと長くなるので割愛。

 

 

読んでいるとヤクザにも同情(もちろん非合法行為は認めない)や、カタギである我々にも考えなければならないことが多いと思うようになった。

 

物事は多面的に捉えなければ肝心なモノを見逃すことを改めて実感した。

 

 

 

 

 

「祭り」

 

祭りの出店などのことをテキヤといい、現在はわからないが昔はヤクザが執り行っていた。

 

出店の配置(重要らしい)や場所代、光熱費などは親分(上の人)が管理している。

 

祭りでは家でも作れるのに焼きそばを食べるのか、普通に買った方が良いのに射的をするのか。

 

なぜならば買い手と売り手にその世界観を楽しむという「不信の自発的な停止」が存在していると筆者は答えた。

 

演劇を見る際、私たちは舞台上の出来事を本当のことのようにして楽しむ。

 

そうやって別の世界に触れることで現実からの開放を望む。

 

 

 

数年前にYoutubeで「祭りのくじ屋の闇を暴く!」といった動画が挙げられた。

 

くじを全部買うと言い、くじの中に本当に大当たりが存在するのかどうかを調べる内容だ。

 

 

テキヤの方もある程度苦しい言い訳のやりとりをしている。

 

ゲームのハードの当たりの子供はいないが、ソフトならいるみたいなので

 

ある程度の当たりは用意してあるのではないかと思う。

 

大当たりくじの疑惑を突きつけられたら、あらかじめ用意しておいた大当たりを見せれば良いだけ。

 

それを箱の中には入れないようにすれば良い。

 

大当たりの真偽を確かめるのは不毛である。

 

 

 

冷静に考えて、使い古したようなボロい出店で大当たりの大盤振る舞いができるだろうか。

 

スポンサーもなければ、大規模でもない。

 

当たらなくても不思議ではない。当たらない方が自然かもしれない。

 

 

大人はそんなこと承知で黙って子供のくじを許可する。

 

子供はその経験からこういうものは当たらないし、普通に買う方が得であることを学ぶ。

 

親にただ言われるよりも自分で経験する方が子供も納得し学習するだろう。

 

そうやって世間を知っていくのも今までの流れかもしれない。

 

 

 

出店のくじも世界観を楽しむものである。

 

別に大当たりのくじを入れないことを正当化しているわけではない。

 

ただ別の世界を提供している祭りにおいて、そういったマジレス(その場の空気に合わない正論を述べること)をするのは、少し違うような気がする。

 

 

ディズニーランドでミッキーの中の人の話をすることに近いかもしれない。

 

 

そもそもゲームのハードを置かなければ良いが、子供は夢を見れなくなり、そもそもくじを引かなくなるかもしれない。

 

そして経営できなくなって祭りが衰退、消滅。

 

 

1番の大当たりが「ラジコン」だとすれば現実的な経費になりそうである。

 

お祭りなのに現実的なのはいかがなものか。(そんな祭り消えて良いというのは...)

 

 

 

そのようなくじの店が無駄であると言うならば、他の出店も無駄になってしまう。

(焼きそばやたこ焼きは家でも食べられるし、清潔面、金銭面にも明らか。出店にしかないものだろうと専門店や通販などで良い。)

 

 

実際のところ、私はお祭りで物を買わなくなってしまった。それはそれで悲しい。

 

 

お祭りに参加できない身体になってしまった・・・。

 

 

 

 こういった背景を汲み取るとただただテキヤの人たちが持ち場を荒らされて可哀想と思えるようになった。 

 

 

ちなみにYoutubeの動画以前の私は見て、「くじの店全部潰れろよ」と思っていたが

 

そういったいろいろな背景、側面も知らずにバッシングするのは愚かであったと反省している。

 

 

 

メモ : 出店くじでのゲームのハードは法律の「景品類」に含まれないらしい。

ある動画でこのことについて言及して警察にまで行っているが、その店に謝罪をしているような様子がなくて少し気になる。間違った情報で散々荒らしておいていいのかな。 

 もしかしたら謝罪しているかもしれないのであまり言えないですが。

 

 

 

 

「逸脱」

 

この本の一番のテーマである「逸脱」。

 

逸脱・・・本筋や決められた枠から外れること。

 

この本では、一般社会の人々の反応によって「逸脱」が生まれる。

 

人々が反応を示し疎外することで、逸脱と感じて同じ立場のものたちで一体化する。

 

さらに逸脱が加速する。

 

逸脱集団が攻撃されやすく目に付くことでさらにイデオロギー的、構造的に強い集団のアイデンティティを身につけざるを得ないか、

 

強力な象徴やイメージを自己の中に組み込んでいくしかない。(ヤクザは神道天皇を組み込む)

 

 

 

 

この「逸脱」は差別の問題とも関係がありそう。

 

差別と感じた人は同じ立場のものたちで集団化する。

 

そのことでさらに逸脱、ここでは差別感が増す。

 

 

 

よく思っていたことがあって、

 

「〇〇差別だ」と叫ぶ人がネットにいるが、その発言がさらに差別を深めているのではないか。

 

差別してる側は一面的にしか見ていないが、されてる側も一面的にしか見ていないことがある。

 

「差別」ではなく「同じ人間」ということを強める方が人々は疎外するような反応を示さない気がする。気がするだけ。私がそう思うだけ。

 

 

身近な関係においては その「差別であるもの」というレッテルを貼らずに、一個人としてその人を見てあげるのが一番良い。

 

この「レッテル」も本書において重要なワードになっている。

 

ヤクザと暴力団のレッテルが詳しく分析されている。

 

 

 

 

 

 

ただ書きたいことを書いただけであるので、整った文章ではないと思う。

 

なんとなく雰囲気だけ伝われば良い(5%くらい)

 

 

 

「ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本」

 

非常に面白い本であったことは確かである。

 

 

 

 

1時間かけて作ったので疲れた。

 

 

 

今年は花火大会があれば、屋台のものを買いたいな。