炭酸水が冷えていない

コメント適当にして下さい(´◜ᾥ◝`)

無題

ついさっきまで咲いていた桜並木も、初めから何もなかったかのように散った。

 

4月なのにこんな暑さにまで上がるのなら、春はどこに行ってしまったのか。

 

今年の夏も大変だ。

 

 

幾度の卒業シーズンを超えてきたが、今回が一番心に来るものがあるように思える。

 

それは人生で学生最後の年であるからだ。

 

就活で自己分析をすることが多く、これまでの人生を振り返ることも多かった。

 

大学4年の卒業は、まだ2年あるからと思うことがあってそういうことはほとんどなかった。

 

あと一年。

 

今後、後悔とか悲しくならないためにも頑張らないといけないなと思う。

 

反面、さらに先のことを考えると虚無感を覚えることも多々ある。

 

こうやって話したり遊んだりしているけど、いずれ接点を持たなくなる。

 

というのが寂しい。

 

これは今の情報社会に馴染めない自分の感覚がある。

 

お別れをしたのに、お別れない。

 

まるで、「じゃあね」と言って友達と別れた後に同じ方向の道を帰る気まずさ。

 

高校で「0か100か」の完璧主義を辞めたはずなのに、未だにこびりついている。

 

「将来関わらないこと」= 「あの時間が意味がなかった」とまでは言わないけど

 

結局、その場を寂しくないようにするだけの繋がりだったのかな。

 

人生は死ぬまでの暇つぶしみたいなものだからそう言えばそう言える。

 

こういったことを考えるとthe pillowsのストレンジカメレオンという曲の一節を思い出す。

 

「いつか懐いていた猫は、お腹空かしていただけで。」

 

たまにでもお話しとか、遊べると良いなと思う。

 

実際自分から誘えばいいとは思うけど、相手のことを想うと

 

煩わしいかなと思ってしまって一歩踏み出せない。

 

ここも自分からできるようにはなりたい

 

 

 

いつ頃から冷房使えばいいのかな〜

 

 

 

 

 

 

意志のありか

 

機動戦士ガンダム」シリーズの続きである「機動戦士ガンダムユニコーン」,「機動戦士ガンダムNT」,「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を一気に見ました。

 

非常に面白かった。

 

大変満足のいく作品で、ガンダムNTのラストシーンでは想いが溢れて泣いてしまった。

 

 

大体のあらすじを。ネタバレを含むかも。

 

そもそもの初代ガンダムは、ジオン軍地球連邦軍の戦争を中心に描かれていて,アムロがその戦争に巻き込まれつつ成長していく話。

 

他作品に比べてロボット同士の戦いを描くというよりも、モビルスーツ(ロボット)を武器として外交を行っていく政治色が強い作品となっており、今後の作品にも影響を与える始まりの物語。

 

次に「機動戦士ガンダムZ」が続く。

 

初代ガンダムの終わり頃には、アムロが人の意志をテレパシーで読み取れる超能力を身につける。

 

そういった超能力を持つ人々をニュータイプという。

 

宇宙に居住区を移転した人類が進化したものがニュータイプと言われている。

 

ガンダムZの主人公は、戦いの中でニュータイプとなり人の意思が流れ込んでしまい苦労をしていく。

 

 

 

 

今回見た「機動戦士ガンダムユニコーン」は、初代ガンダムのリメイクのような構成となっている。

 

しかしテーマは「政治と人」というよりも「人の心」に重点を置いている。

 

ニュータイプである主人公のバナージ・リンクスは、ジオン軍地球連邦軍の行き来をせざるを得ない状況で、双方の怒りや憎しみ、暖かさに触れてどうすれば良いか葛藤する。

 

周りの人たちに触れていくことで、自分の心に従うという決意したバナージは、

 

他の人たちから「そんなことは無理だ」と言われるが、

 

「それでも!」

 

と叫び続け、人の可能性を信じて進み続ける。

 

そんなバナージを見て、周囲の人も変わっていく。

 

 

 

カッコいいな〜バナージは。

 

意志を持っている点も憧れるし、「人の可能性を信じる」ていう点でも素晴らしい。

 

 

現実、人助けをすると却って自分だけ不幸や災いにある事例があるらしい。

 

子供が1人で泣いていたとして、助けてあげようとすると不審者扱いを受ける可能性もある。

 

だから助けようとしないというのもある。触らぬ神に祟りなし。

 

それでも。

 

例え自分が捕まったり非難されようとも、その子を助けたい, 助けようとする意志があるのならば、その子にも伝わっているかもしれないし , 悪い人に捕まらなくて済んだと言える。

 

 

綺麗事だと思う。バナージも綺麗事だと言われていた。

 

それでも!

 

人の心が人を生かすし、人を助ける。と思う・・・

 

解決にはならないかもしれないが、進むしかないのもある。

 

結局はアニメの中の話だから、いつまで厨二病なんだと言われるだろうけど。

 

そんなバナージに憧れを持ちました。

 

 

 

 

ガンダムNT」は「ガンダムユニコーン」の続き。

 

ラストシーンでは、NTの主人公に対してバナージが「それでも」と励ます所で

 

「やっぱりかっけえよ…(涙)」

 

となってしまった。

 

 

今の僕には「それでも」と言いたくなるほどの意志や目標がない。(100回目の記述)

 

いつになったら、空白を埋めてこの世界と関わりを持つことができるか。

 

それだけがただただ心配。

 

 

ユニコーンガンダム(RX-0) デストロイモード

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ダウンロードロード

煩かったセミたちはなきやんだようで、きっと誰かが励ましてくれたに違いない。

 

 

今回のタイトルは、日暮れにランニングしながらふと思いついた自分オリジナルの曲名。

 

歌詞の内容は、あらかじめ存在する他人が作った設計図(人生)を歩くとかなんとかそういった内容。たぶん。

 

そのままダウンロード(ダウン+ロード)とか、下り道(下=ダウン,道=ロード)でも良いかなと思ったり思わなかったり。

 

実際に歌詞を紡ぐわけではないので、ターンエンド。

 

 

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ダイエット

 

お盆前に帰省をして2週間滞在した結果、無事に太りました。

 

運動もたまに近所を走るくらいで、ご飯分のカロリーを消費することはできません。

 

厳しい食事制限を試みるも食べないとやってられず、

 

食べすぎると満足感のかわりにお金と体重が犠牲になる。

 

筋トレと運動をしつつ、食事を抑えなければならない。

 

 

 

他大学と合同講義だったり、インターン参加だったり、バイトのトライアルを受けたりとなんだかんだで予定がしっかりあった8月であった。

 

考えることが多く、脳にひらすら汗をかいた。

 

 

 

 

サマージャンボを買いました。

 

もちろんのこと当選はしなかった。

 

当選番号発表の当日までドキドキ感を味わいながら過ごせるので、結構楽しい。

 

高額当選したらどうしようかと夢を膨らませられるので「夢を買う」というのは間違いではない。

 

もし7億円当たったらどうしようと余計な悩みを抱えた。

 

アンケートでは多くの人が貯金をすると回答しているらしく、いきなり欲望を解放させるのではなく現実的な人が多いことがわかる。

 

自分もそうするだろう。

 

 

ところで自分の手元に大金があったとして、何をするだろう。

 

良い場所に住んで、良い車、時計、家具、パソコン…

 

購入するものは沢山あるだろう。どんなところにも旅行できる。

 

 

そして・・・?

 

ダラダラと過ごすだろうか。ゲームをして、テレビや動画を見て。

 

寝て、起きて、食べて、寝て。

 

 

それは少ししんどい。

 

ひたすら旅行して、地球上を回ることなら楽しそうであるが

 

お金が尽きるのは、意外と早いらしい(知らないが)。

 

 

でもお金があれば仕事ができない、なくなるという不安からのストレスを感じないだろうし、ある程度自由にできる。

 

 

 

何が言いたいか、お金のためだけに動いた先に残るのは何だろうと。

 

このあたりはそれぞれ人の価値観が現れるだろうから、何が正しくて良いものかはない。

 

好きか嫌いかしかない。

 

使いきれないほどのお金持ちの人たちはどうして仕事を辞めないのだろう。

 

 

私もお金は欲しいし、給料がないと働かない。

 

それでも「やりがい」を持って働いていきたい。

 

よくやりがい搾取と言われているが、そこは見極めて行かないといけないなと。

 

 

とは考えているものの実際に現実にできるかは別の話である。

 

それも意識して取り組んでいきたいということであります。

 

 

 

ps.

アマゾンプライムでドラマ「JIN -仁-」が配信されたので、

最終回あたりを見て泣いてしまいました。

 

 

 

 

宝くじマスコットキャラクターの くーちゃん。

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口内炎とささくれ

 

 

食事中に唇を噛んでしまい、口内炎ができてしまった。

 

手に強めのささくれができ、何かするたびに親指が痛む。

 

ちょっとした痛みを嘆いていたら、骨折したり指がちぎれたりすると痛みのショックで死んでしまうのではないか不安になることがよくある(アニメや漫画の見過ぎ)

 

腕とか切られてよう平気な顔してられるよな。覚悟が違うのか。

 

アドレナリンでどうにかなるのか。

 

 

 

メモ帳に保存してる小ネタ?を掃き出していく。

 

 

[美しさ]

 

小学1年生の時に「みんなの歌」(小さい本みたいな歌集)にある歌の中でページを覚えたりマークしたりするくらいに好きだったものがある。

 

それは「大きな古時計」である。

 

 

すでに歌自体を知っていたが歌詞を見ながら曲を聴いていると、ふと涙が出そうになった記憶がある。

 

周りにバレると恥ずかしいと思って必死に堪えていた。

 

 

時計は絶えず進み続ける「時」を刻むものである。

 

時間が経てば、人はいつか必ず死んでしまう。

 

色々な時をおじいさんと過ごしてきた「時計」も、止まって終わりを迎えてしまう。

 

しかし、おじいさんの孫はそのことを知っているのである。

 

おじいさんと時計は終わりを迎えたが、そこには歴史は残り続ける。

 

動かない時計にはたくさんの思い出が刻まれているのかもしれないな〜。

 

時計ではなくタンスとかドアとかではダメなんだろうな。

 

 

無常感を子供ながら感じ取っていたのか。

 

ただ悲しいのではなく、儚さ。

 

ただ終わるのではなく、残っていく歴史。

 

そういった諸々を含めて、悲しさの中にある希望というか、未来というか、ポジティブなものがあることに感動してしまう。

 

 

 

翼をください」も曲調が悲しいので好き。

 

好きなクラシック曲は「カノン」(パッヘルベル)で寝る時とかリラックする時に聴く。

 

カノン進行がとても心地よく、騒がしく盛り上がるのではなく、お淑やかに喜びや楽しさを表現しておりつい踊りたくなってしまう。

 

カノンにも盛り上がる前にどこか悲しさや優しさがあり、賑やかと思いきや盛り上がりの中にも哀愁を思い浮かべてしまう。

 

久石譲の「Summer 」もこの時期にはとてもいいね。

 

暑い田んぼ道を「あちぃ〜」ってい言いながら聴きたい

 

 

仏教では、不浄である泥の中から綺麗な花を咲かせるハスの花は教えの理想であるとして仏像はハスの花の上に座っているらしい。

 

非常に美しい価値観だなと。

 

世の中、綺麗・平和であって欲しいとは思うが、ネットを見ると世界平和とは程遠いなと思うことが多い。

 

そんなどうしようもない世界でも、必死に美しさを持って生きたい。

 

 

 

ハスの花 作成時間:10分

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Soliloquy

 

 

ボヤけた紫陽花を見て、梅雨だと思い出した。

 

 

殻に籠るカタツムリには外の世界がわからないのは当たり前。

 

 

そういえば、雨が最近続いてた。

 

 

洗濯するときには晴れか曇りだったので気づかなかったのかもしれない。

 

 

紫陽花が咲くのは曇天が多い日ではあるが、「陽」の漢字が入るのは何故だろう。

 

 

逆に陽が見えないからこそ、花を陽としたのかもしれない。

 

 

なんて書こうとしたか忘れてしまったと書いていたら思い出した。

 

 

自己分析とまで言うほど大袈裟ではないが自分は周りから見て少しお堅い人だと思われていると感じることが多々ある。

 

 

もしくは単に距離を置かれているか(悲しい)

 

 

前の仮定を真とした場合に、人に悪く思われないようにする努力?みたいなのがあったのでメモ。

 

 

自分で言うのもなんだけどマイ言動にトゲがあると

思う。

 

 

思い込みすぎかもしれないけど、または自分が相手にそう思っているかもしれない。

 

 

「大丈夫」だけだとキレてると思う(思われる)から

 

「大丈夫〜」

「大丈夫!」

「大丈夫🙆‍♂️」

「だいじょうぶい」

「大丈夫✌︎('ω')✌︎」など

 

なるべく柔和な表現になるように心がけている。

 

ほとんどの人に対して。

 

してない相手は相当関係が深まっているか、この人はもう俺を大体理解していると思ってる。

 

 

 

今思いついた。

 

「大丈夫よ」 にすればいいのか。

 

あーでも伸ばし棒をつけたくなっちゃうな

 

 

 

難しい…

 

 

小学校の頃からネットを弄ってて、語尾に「w」をつける癖がついてしまったのがダメだった。

 

 

どうしても文の後ろに何かつけたくなっちゃう。

 

顔文字や絵文字も使いたい、使わざるを得ない。

 

 

 

それだけの話。

 

 

 

 

 

こういう日記とか文章を数年後に見返すと死にたくなると思う。

 

おーい ٩( 'ω' )و 

 

見てるか〜、数年後化のおれ〜。

 

 

 

 

 

タイトルは独り言の英語らしい。

 

 

明日は実家の田植えを頑張ります。

 

電車の中で書いたので雑さと意味のなさが最高潮であった。

戒めと

 

五月ももう終わりを迎え、怠惰の理由を五月病だと言い訳できなくなってきた。

 

次の言い訳は梅雨が挙げられるが、除湿を駆使してやることやって頑張りたい。

 

除湿をすると寒すぎて長袖を着なければならないのはどうにかならないものか。

 

設定温度を上げると、エアコンが効かなくなり変な臭いを吐き出してしまう。

 

調整がなかなか難しい…

この文章はゼミ中に書いています。

 

 

 

 

馬鹿という言葉があまり好きではない。

 

正確に言えば、意味が定まっていないので扱いにくい。

 

もちろん信頼関係のある人に対して、冗談かつユーモアな意味で使う分には何の問題もない。

 

対象のことをあまり知らないで馬鹿と言う、判断するのは少し抵抗を感じる。

 

当の本人は深く考えず発言するのだろうと思うけど、

 

何を基準に馬鹿と判断できるのかいまいち掴めない。

 

この際に、言葉の厳密な意味とか無視しようかな。

 

 

論理的な思考ができないことは言わずもがな馬鹿となるだろう。

 

 

そこで…

 

 

勉強や何かしらの技術はできるほうがいいし、それらを身につけるためには努力するのは必要だと思う。

 

 

当たり前だ。

 

 

しかし、僕は努力をせずにゲームはするし、一日中寝ることだってある。

 

 

ダラダラと動画を見て笑い、いつの間にか深夜になることだってざらにある。

 

 

なぜ努力をせずにそんなことをするのか?馬鹿じゃないのか?

 

 

なぜならゲームは楽しいし、寝ることは気持ちがいい。

 

 

それは僕の主観での感想であり、自分にとっては必要なことだ。

 

 

たとえ、努力することが人生で重要であったとしても。

 

 

それが論理的ではないとわかっていても。

 

 

(もちろんやらなきゃいけない時にはやるよ)

(それができないのは後から当事者が馬鹿であったかそうではないかを判断するだけなので第三者がとやかく言う筋合いはない。)

 

 

 

常に論理的、合理的、科学的な行動をできる人、バカじゃない人なんているのでしょうか?

 

 

誰だってサボるし、無駄使いするし、遊んだりする。

 

 

人と遊ぶときに「これはストレスを軽減させるための出費であるため合理的な行動である」と考えて遊ぶ人はいるだろうか。

 

 

ある行動は人にとっては馬鹿だと言えるし、自分にはそうは言えないことだってある。

 

 

みんな馬鹿だし、気楽にいこう。

 

 

でも人に迷惑をかけちゃダメ🙅‍♂️

 

 

その視点を常に持っていきたい。

 

 

人の振り見て我が振り直せですね

 

 

ここで政治の話になると少し面倒になる。

功利主義(最大の人数に最大の幸福を与える考え。ある程度迷惑が掛かっていても、それに対するメリットが非常に大きいなら良い的な考え)を良いとしたりする場合もあればそれを良くないと思うこともある。

政治って難しいね~。

コロナとかオリンピックとか一筋縄ではいかないものなんかね~

俺は馬鹿だからよくわかんないけど~。

 

 

 

無駄なことも楽しめるような馬鹿になりたい。

 

 

相変わらずの適当な文章だった

 

 

ps.

最近、風呂場の換気扇の音が小さくなって嬉しい。